松本克のブログ

国立高校の甲子園出場に関する記事でこのブログに巡り会ったので、その辺りのことが中心になるかな・・・

【自伝】8)初めての電話商談で値下げを勝ち取ったが…

「中国の松下幸之助」と、A商店内で最上級の評価を勝ち得ていた男が覇を唱えていたのがその承徳でした。小学校中退だか卒業だかの学歴だが、頭の回転が良くメリヤス工場の経営に手腕を発揮、地元の産業の発展に大いに貢献している承徳の名士とのこと。
 全国紙にもちょうちん記事が載ったことが有るような話も聞きました。


 ただ、当時の中国は、1989年の天安門事件のような国際的な大事件を除いては、「竹のカーテン」越しの統制された情報しか日本には入って来ず、ましてや個別の業界の事情など「友好商社」と言われた窓口会社でも正確なことを把握するのは困難な時代でした。
 新聞・テレビ等のマスコミを通じて見聞きする人物情報も極々わずかで、せいぜい国家主席・江沢民、首相・李鵬、中国共産党「最高指導者」という不思議な肩書の「唐小川」ぐらいだったのではないでしょうか。


 そんな時代に「中国の松下幸之助」と言われても、会社の皆さん「???」だったのでは?
 鉦や太鼓で「幸之助さん」を持ち上げていたのは我が海外部の部長だけです。その部長といえども、中国には出張ベースで行くだけですから、直接会って見知った可能性は極めて少ないと思えます。
 商談相手の中国側商社に「おいしい話」を吹き込まれたのでは? 等々考えを巡らせ、不安を覚えた人が居たとしたら、そういう声を汲み取る雰囲気が社内に無かったことがこの事業の運命を決めた、とも言えるかもしれません。


 さて、それでは、ここで登場人物を整理しておきましょう。


 日本側代表は、我が社の海外部部長・大川申公(仮名)。
 日本語と、漢語台湾弁のバイリンガル。台湾か東南アジアのどこかで会社経営をしていたこともあるとのこと、また、奥さんが台湾人とのことで、潮州系の台湾弁らしいのですが、とにかく機関銃のように繰り出す漢語は普通の中国人を優に圧倒するだけの迫力を持っていました。


 小柄な体格なので、それをカバーするためか、『負けてたまるか』という気合いが人一倍強く、その勝ち負けの判定基準を相手の言い値より安く買えるかどうかに置いていた気配が有ります。
「壺に嵌まる」という言い方が有りますが、商談の主導権を握り、自分のペースに相手を巻き込むことができた時、「勝利の方程式」が成立し、安い仕入れ価格の獲得に成功、営業が喜び、会社が喜び、自分も喜ぶという勢いのいい時期が私の入社前には有ったようです。


 好循環の典型的な例ですが、私が同行するようになって感じたことの一つに、「それは言わないほうがいいのでは?」と思いながら聞いていたことが有ります。それは:


「私は強くこの値段を要求する! その値段であればお宅の商品の販路も広げられると、私はお宅の商売のことまで考えてるんだ! お宅の国は、最高指導者と言ってもせいぜい『小川』じゃないか。私は生まれてこの方『大川』なんだ! お宅の国の最高指導者よりずっと上なんでぇ!」
という啖呵である。児戯にも等しい啖呵だと思うので、「もう外しては?」と思い思い聞いていたが、聞き慣れている中国側商社の担当者はその辺で負けたふりをしながら、赤子の手をひねるように落としどころを見つけていたのかもしれません。


 そこで、部長の値段へのこだわりについて、具体的な例を一つ挙げてみましょう:


 ある時、大川部長が会社を休んでいて、次にいつ出社するかわからないということが有ったらしいのです。
 どこからだったか覚えていないのですが、Tシャツの営業部門のどこかから東京支店の私の所へ、突然、契約済みのTシャツの値段を下げてくれるよう中国と交渉をしてくれ、という依頼が入りました。


 その時点で、中国側商社の担当者と私とはすでに中国か、あるいは東京のどちらかで顔合わせは終えているので、いついきなり電話をしてもおかしくは無いのです。
 ただ、支店営業の私が海外部の結んだ契約について、そこの部長の留守中に内容の変更の交渉するというのはどうなんだろうと、誰でも疑問に思いますよね。
 しかも、ああいう部長ですから、価格交渉とか契約とかには強いこだわりを持っており、「自分の仕事」という意識が強く、まだ一度もその種の仕事を他に任せたことは無かったはずなのです。
 そして、何よりも、中国のことについては普段部長にべったり甘え頼っている連中が、何故よりによって部長の留守に、しかも当然部長が結んだ契約の、値下げ交渉を私にさせようとするのか?


 考えることはいろいろ有りましたが、客観的に、値下げを頼む理由がそんなに立派なものではなかったと思うので、「駄目で元々だ。『一応交渉はしてみました』という形だけでも作って・・・」という軽い思いで電話をしました。


 幸い先方も在席していたので、用件を伝えるだけは伝えました。
 今考えても冷や汗ものですが、商談らしい商談もしたことが無い人間が、部長の留守に、いきなり国際電話で、値下げを頼む、という普通では考え難い状況だったのですが、冗談ではない証拠に、それなりに理由もこじつけてもっともらしく「お願い」はしたと思います。したとは思いますが、まさか・・・


 すると、先方は、いずれ私が大川部長と一緒にか、あるいは、後を継いでか、商談をするようになるとでも思ったのでしょうか、また、その時のためのエールのつもりででもあったのでしょうか、今でもその辺の事情はわかりませんが、何と! こちらの要求を丸々受け入れてくれたのです。


 私は内心「やったァ!」と思い、頼んできた連中も「まさかッ!」と思ったのではないかと思いますが、結果は大成功だったのです。


 と、それで終わったのでは、単なる私の自慢話になってしまいますが、決してそうではありません。


 翌日だったか、何日後だったか覚えていませんが、要は大川部長の休み明けの日です。
 大川部長から関係する営業部員たちに連絡が入りました:
「あの値下げした契約の件、私の留守の時に勝手なことをしてもらっては困るんだよなァ。今日、北京に電話をし、値下げを取り消して元の値段に上げてもらったから・・・」と。


チャン、チャン!


(つづく)