松本克のブログ

国立高校の甲子園出場に関する記事でこのブログに巡り会ったので、その辺りのことが中心になるかな・・・

「『築地です!』の罠」…

「築地です! おめでとうございます! あなたに青森県の大間まぐろが当たりました。一匹お送りしますので、980万円をお振り込み下さい…」という電話が掛かって来たことは有りませんか?


 そんなうまい話は、やはり、年中有る訳はなく、新年に向けてやや心が浮足立っている時、お節料理のことなどに心を奪われている頃が多いようです。


 また、「980万円」という金額が味噌だそうで、1,000万円以上になると、家に置いてあるという人がぐっと少なくなり、成約数ががた減りするそうです。


 去年の暮れの20日頃だったでしょうか、私の所にもそんな電話が掛かって来ました。
「築地です! おめでとう… 大間まぐろ… 980万円… 24時間以内に確約が必要…」等々。
「980万円なら手元に有るし…」と、その場で一匹頼み、翌日振り込んだように思うのですが、今日になっても届かない・・・


 嘘か真か、警察に届けると、ここ何年か年末になると必ずそういう事件が発生しているんだとか。
 電話を受けた人は、皆一様に、築地市場から直接掛かって来た売り込みの電話と勘違いし、競りで〇億円という値の付く鮪を思い浮かべて思わず買ってしまうのだそうである。
「しかし、…」と、警察は言います:
「築地に魚市場が有ったというのは、5年も前の話ですよ。今はもう豊洲の時代ですから、皆さん、うっかりするにもほどがある!」と。


 ただ、何も手を打たないという訳にもいかず、警察庁としては、今年の師走から
「『築地です!』の罠に気を付けよう」
というキャンペーンを張ろうと準備していたところ、『ツキジデスの罠』という言い回しは盗作ではないか?と指摘され、計画を全面撤回したとか…

 時は紀元前431年、所は古代ギリシャ。アテネとスパルタの間で戦われたペロポネソス戦争。
 崛起してきたアテネ【※中共】が、それまで支配的地位にあったスパルタ【※アメリカ】の覇権に挑戦し続けることにより、戦争が不可避な状態に向かった状況が「ツキジデスの罠」である: 


 今、経済が崩壊した中共・習近平政権は、国民の目を海外に向けさせるためどこかで戦火を開く可能性が有るが、台湾を狙うにしても、尖閣を狙うにしても、アメリカへの一層の挑戦となることは避けられない…


 ちなみに、「ツキジデス」は、古代アテナイの歴史家の名前 “Thucydides” のことであり、「トゥキュディデス」と表記されることも有る:

「ツ~」で始まるのと「トゥ~」で始まるのとでは大きな違いであり、どちらかに統一されることが望ましいと思っている。
 私の一押しは、もちろん「ツキジデス(築地です)」…

【新語】无限续(無限続)って?

无限续( wú xiàn xǜ)/無限續(ㄨ2 ㄒㄧㄢ4 ㄒㄩ4)/無限続(むげんぞく)…


 今日、『日経ビジネス』のサイトで中国の経済崩壊の記事を見ていて初めてこの語を知ったのですが、これまで同じことを言おうとする時に使っていた以下の数語と比べると、造語の際の着目点が全然違うことに驚かされます。これまでの表現には、いずれも “吃” が含まれていたのですが…:
吃個夠 ; 吃到飽 ; 敞開吃 ; 隨便吃 ; 想吃多少吃多少 ;
等、いずれも日本で発行された辞書やら観光案内の書籍に載っている表現です。


 しかし、社会の事象を表わすために造語される数文字の新語の漢語が、表現として的確かどうか、いずれが最も的確か等を判断するのは私には少し重荷であり、せいぜい言えそうなことは、最後の “想吃多少吃多少” はいかにも説明調で、他と比べても少し長ったらしい、という程度のことでしかありません。残念!


 これまでの表現と違い、“吃” が含まれていないことに驚いたというのは、新語「無限続」が「食べ放題.お代わり自由」の意味の語だからです:


 結果的に、別の新語が生まれたということは、「当初の新語」にはどこか中国語圏の造語感覚と合わないところが有ったのかもしれません。
 あるいは、日本方式の「食べ放題.お代わり自由」という外食の作法のどこかが中国語圏の食文化と完全には一致していないからかもしれません。


 いずれにしても、中国経済についての情報を集めていた時のこの造語法の違いの発見は、大変な驚きで、語学の奥の深さをあらためて知らしめてくれるものでした。


 上述の『日経ビジネス』のサイトは以下の通りです。参考まで:

暗殺翌日の新聞が恐ろしいことに…

という見出しは、実は、西村幸祐著『日本人だけが知らなかった「安倍晋三」の真実』の146ページの見出しをそのまんま引用したものです。


 しかし、「偶然にしても、こんなことが起こり得るのか!?」と本当にビックリもし、恐れ戦いたものですから、自分の気持ちに正直にブログの題名に使わせていただきました:

 事件の受け止め方も考察も全く違った筈なのに、一文字も違わず、5文字+5文字=10文字の全く同じ見出しになるなんて、八百長以外の何物でもない、と私は考えました。


 西村氏の著書のこの件に係わる p.146 ページの記載は以下の通りです:
http://matsumoto.news.coocan.jp/z_photo/220708_incredible-same-header.jpg