松本克のブログ

国立高校の甲子園出場に関する記事でこのブログに巡り会ったので、その辺りのことが中心になるかな・・・

キラキラ・ネーム と カタカナ語(1)

 ある日の新聞のスポーツ欄、やけにたくさんのルビが振ってある記事が目が留まった。


 早速舐めるように読んでみると、それは女子のプロ・ゴルフの記事だった。たかだか二百四十字ほどの記事なのだが、出て来る七人の選手のうちの五人の名前(「氏名」の「名」の部分。以下同じ)に振りがなが振ってあったのだ:
果恋=かれん;希望=のぞみ;比菜=ひな;優利=ゆうり;詩=らら。


 記事の内容をまとめた成績表の中には更に、記事にする時にはきっと振りがなが付くに違いないと思える名前が三つ。読みを調べてみると:
咲希=さき;茉優=まゆ;鈴英=れい。
 そのほか、ひらがなばかりの「ここね」という名前も私には新鮮に感じられた。


 そう言えば、東京五輪の女子ゴルフに出場した二人の名前もちょっと変わっていた:奈紗=なさ;萌寧=もね。


 選手の低年齢化が急速に進んだ結果なのか、若い女子プロゴルファーの名前には、今までには無かったタイプの名前が多いようだ。
 いつの時代も、子供の名前には親が子供に託す未来のイメージが込められるわけだが、それを漢字で表そうとする時、その漢字の選び方には色濃く時代の特徴が現れる。
「詩=らら」などは命名者以外には思いも付かないちょっと強引な当て字だが、それだけに思い入れの強さが伝わってくる。


「当て字」というと、漢字に標準的な読み以外の読み方をさせる一種の規則破りのようなことになるが、実は、人名の場合だけは、親心に配慮し、なるべく規則破りとならぬよう標準の範囲を広くしてある。それが「音読み」「訓読み」とは別の「名乗り」という基準だ。東京五輪・柔道の金メダリストに「詩=うた」という名前の選手がいたが、その読みこそ正に「名乗り」に例示されているものであり、「当て字」にはならないのだ。


(つづく)


(参考)
キラキラ・ネーム と カタカナ語(2):https://tmatsumoto.muragon.com/entry/451.html
キラキラ・ネーム と カタカナ語(3):https://tmatsumoto.muragon.com/entry/452.html
キラキラ・ネーム と カタカナ語(4):https://tmatsumoto.muragon.com/entry/453.html