松本克のブログ

国立高校の甲子園出場に関する記事でこのブログに巡り会ったので、その辺りのことが中心になるかな・・・

【自伝】7)清朝の「夏の王宮」が在った河北省「承徳」という所…

カッちゃん

 結局、私の最初の任務はメリヤス製品の販売だったわけですが、それは、あるいは、会社や取扱商品に慣れるまでの準備期間とも考えられるわけで、やはり、いずれは中国の合弁事業の要員では…ということで、私の人生で一度だけ海外に駐在することになるかもしれないと思えたのが、A商店のこの時代でした。


 合弁工場の所在地は、北京から約200kmほど離れた河北省「承徳」という所でした。
 清の時代、「夏の王宮」が置かれていた避暑地で、日本で言えば「軽井沢」に相当するような首都圏との絶妙な距離感が売りの場所です。
 東京-軽井沢間約120kmと比べると、やや遠いことになりますが、少し頑張れば半日~一日で人間の移動が可能という距離が、夏の観光地として名を挙げた所以と言えましょう。


 ただ、承徳、承徳と言っても、いささか広うござんして、合弁のメリヤス工場が実際に在った場所はと言うと、「王宮」からはだいぶん懸け離れた辺鄙な場所で、鉄道の駅からもまだまだ相当走らなければならない、地名も「下板城鎮」、つまり、「鎮=村」という格の山村でした。おそらく、外国人が泊まれるような宿泊施設は無い未開放地区に近い所だったと思います。


 北京からの交通は車か鉄道です。始めから全行程車で行くか、あるいは、列車で「承徳」まで行き、駅まで工場の車に迎えに来てもらう。帰りは、行きの裏返しであったり、列車の時間によっては、工場の車で一気に北京まで送ってもらう。


 私にとって中国で鉄道に乗るのはこの路線が初めてだったので、いい経験もできました。
 日本人と中国人との行動様式の違いにはある程度免疫が出来ているので、床の汚さなどは気にならなかったのですが、初めてトイレに行った時、偶々そのトイレに鍵が掛けられ、使えなくなっているのには驚き、慌てました。
 聞くところによると、旅客の自殺?を防いだり、何らかの行動?を防ぐために一部のトイレに鍵を掛けてしまうことが有るとのこと、中国人社会にはまだまだ自分には見当の付かない部分が有ることを知ると同時に、列車に乗る時は、空きトイレを探す余裕を持って行動しないと危ないことが有ることを知りました。


 工場の在る「下板城鎮」には外国人が泊まれるホテルが無いだろうと言いました。
 幸い私が係わった仕事ではそういうことが無かったのですが、工場に行った人の中には、新しい商品の試作とか、出荷前の検品とか、想定外のトラブルが起きて時間的に北京に戻るのは無理という時間になった人がいたかもしれません。
 もし、そういうことが有ったとしたら、工場の一角の休憩室のような所に泊まったというようなことが有ったかもしれません。避暑地であるということは、裏返すと、冬の寒さも半端でないはずであり、実際、真冬は雪にスッポリ覆われてしまう光景も見ていますし、何らかの厚生施設的なものが有って不思議ではないと思います。


 あるいは、承徳の中心街に出て、急遽ホテルへ投宿という手も有ったかもしれません。承徳市の中心地区ならば、「夏の王宮」の城下町ですし、それなりの規模を有する都会ですから。
 そう考えてみると、私も一回だけ、どんな経緯だったか忘れましたが、市内を歩き回る機会が有り、街で日本の「青年協力隊」の女性隊員に会って話を交わしたことが有りました。
 今となっては懐かしい思い出です…


(つづく)