松本克のブログ

国立高校の甲子園出場に関する記事でこのブログに巡り会ったので、その辺りのことが中心になるかな・・・

1980年8月7日 応援団、いざ甲子園へ…

生徒たちのバス:


●昭和55年8月2日(土)、小林常司教諭から生徒応援団のバスは近畿ツーリストの斡旋で約20台を頼み800名を見込むという報告を受ける。(これは見事に予想が当り、762名になった。)
[『甲子園への道』p.11 岡田忠久(教頭)「国高の熱い一日」]


●8月7日木曜日の夜10時、国立高校が移動を開始した。生徒は1クラス平均約30名(最大42名、最小17名)、引率教員は30名の総計800名つまり国立高校の約三分の二がバス19台を配して参加したのだから、国立高校が移動したと言っても過言ではないだろう。(※1組45名x9組x3学年で全校生徒約1,200名の見当)
[『甲子園への道』p.15 永井相一(教諭)「大移動」]


●もたもたしているうちに学校のバスの申込みに遅れた。何度頼んでも冷たく断られた。一旦諦めたがこんな事は二度とないから根性で新幹線で個人的に行く事にした。
 甲子園特別切符を買い二人で新幹線に乗り込んだのは夕方だった。窓の景色は暗くて全く見えず四時間ぶっ続けで喋った。今思うとこの時に寝ておけば良かったと思う。大阪で阪神電鉄の最終列車に乗り換えた。~
 甲子園に着いたのは午前0時を過ぎていたがかなりの人が並んでいたので驚いた。~
 私達は徹夜した甲斐あって内野席の前の方で入場式を見られた。眩しい位に晴れ上っていたが私達は半分眠っていた。
[『甲子園への道』p.14 泰楽由香利・和南城受理(二年生)「女生徒二人、甲子園へ」]


卒業生のバス:


●8月7日の夜国立、明日、8日の甲子園へ向って町の中が7時頃より異様な雰囲気に変化して行く。大学通りの左右に次々と並び始めるバスの数、おそらく国立市始って以来の光景だろう。学校・PTA・同窓会・地元商店会等、どのバスが何で何がどのバスか暗い通りをあちこちで声が飛び交う。すれ違う同期生そして先輩後輩同士が声をはずませて挨拶を交わし合う。そして11時喜びと期待とチョッピリ不安を乗せて、はやる気持を押さえる様にバスはゆっくりと甲子園へ向って出発した。
[『甲子園への道』p.15 星野孝次郎(25年卒野球部)「甲子園への道八月七日の夜」]


●私が乗ったのも、きっと前文の星野孝次郎さんと同じグループだったのでしょう。旅行社の案内を見ると、このグループは全部で22台のバスが6ヶ所から出発していて、そのうち「国立一橋大学前」からの出発が11台、さて私は何号車だったのだろう? そこまでは記録しておかなかったが、私はかみさんと二人、野球部同期のY君は確か妹さんと一緒、大学通りの暗闇の中をどこからこんなに人が湧き出て来るのかと思わせるような人混みの中で出会ったのである…