松本克のブログ

国立高校の甲子園出場に関する記事でこのブログに巡り会ったので、その辺りのことが中心になるかな・・・

(3)パンダみたいだが、 『深圳』は本当は『しんしん』かも?

 さて、今日は台湾へ行き、『嘉南大圳(かなん たいしゅう)』の『圳=しゅう』説について考えてみたいと思います。


 左は、司馬遼太郎著『街道をゆく 40 《台湾紀行》』の『嘉南大圳』についての件(くだり)です。
 やはり、最初は、漢字の「圳」についてです。日本では見ない漢字ですからねぇ…


 (※赤傍線)泣く子も黙る諸橋轍次編『大漢和辞典』を引用し、「圳」の項に「シウ・ジュなどの音」が付されているとし「シウ➡しゅう」になったという旨をサラッと流します(※実際の辞典には
 ➀シウ、ジュ
 ②シン
 ③シュン
 という3通りの読みが示されています)。


 ただ、「圳は『せん』?、『しゅう』?」という問題を採り上げた私にとって聞き捨てならないことが、同時に、実は、サラッと述べられているのです:
 (※黄傍線)「ついでながら、(しゅう)という漢字は、上古、日本が漢字を導入したときには、入っていなかった。」と。


 連載の(1)で述べた大原則:
漢語で “~n” で終わる音は、日本語では『~ん』で終わり、
 “~ng” で終わる語は、日本語では長音『~う』で終わる。

(例)“銀=yin”⇒『ぎん』、“行=hang, xing”⇒『こう、ぎょう』。

は、同時代に日本に入って来、定着した漢字について適用できる規則であって、入って来た時代が違うと明らかにわかっている場合には、この原則は当て嵌まらなくなります。


 例えば、古来より一貫して “xing / hang”、あるいは類似の音であったと推測される “行” の字ですが、導入された時代により、日本語の中では、
[呉音]ギョウ(ギヤウ)、ゴウ
[漢音]コウ(カウ)
[唐音]アン、ヒン
となったとされ、『ん』で終わるものと『う』で終わるものの区別は無くなっています。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 というわけで、「圳」の字が違う時代に日本に入って来たとすると、たとえ現在の表記で “~n” の音で終わる発音であったとしても、日本語の読みが『~ん』で終わるという規則には縛られなくなりました。


 ことは台湾の話ですので、当然、台湾のサイトも調べました。そして、漢語側の資料としてはこれ以上のものは無いかと思える《教育部重編國語辭典修訂本_圳》という資料に辿り着きました:

 大陸の “深圳” はさておき、台湾の “嘉南大圳” はこれで決まりか!?
 “圳” …①zùn:(福建・広東方言)灌漑用水路。②chóu:(①の別音)、③zhèn:地名用字。深圳。
 “嘉南大圳” …jiā nán dà zùn。


 さて、いよいよ日本語とのリンクです。
 愛知大学編『中日大辞典』に "zun" の字は9字有ります。
『尊(ソン)』とそれを旁とする『鱒(ソン、ゾン)』、『遵(ジュン、シュン)』など計8字と『捘(シュン)』の1字。
 残念ながら、『圳』は無く、当然、『圳=しゅう』の確認は未だ取れません。


 しかし、『嘉南大圳』の『大圳(たいしゅう)』は、今、限りなく『大圳(ダイソン)』に近付いているのでは? というのが、目下の私の掃除機な/正直な感想です・・・


【つづく】