松本克のブログ

国立高校の甲子園出場に関する記事でこのブログに巡り会ったので、その辺りのことが中心になるかな・・・

【自伝】1)りんどう湖置き去り事件…

「自伝」というと、誰もが真っ先に思い描くのは「自伝車」である。
 私もこの歳で仕事をしていると、ましてや、健康のためとは言え、片道45分も歩くとなると、折に触れて「自伝車さえ有れば、・・・」と思うことが有る。


 しかし、実は、「自伝車」というのは俗語であり、今は、一般に「自転車(じてんしゃ)」と言われている。
 なるほど、言われてみると、往時の日本語には濁音が多かったのだろうか?
“apartment house(アパート)” は「アバート」であり、
“department store(デパート)” は「デバート」であった。


 そのほか、私が幼少の頃の日本語が未だあまり洗練されていなかったかのように思えるのは、今でこそ「プラスチック製」というモダンな言い方が幅を利かせているが、昔はその類の西洋的な品物は全て「ビニール」と呼んでいたことなどである。


 我が家は父の転勤により東京に引っ越してきたが、父母の一族、親戚は皆函館か青森だったこと、また、東京で隣家に家を借りお世話になった伯父さんのところの発言権の強い奥さんが新潟出身だったということなど、やや特殊な事情が、だいぶん偏った言語空間を作っていた、という可能性も否定できないが。


 しかし、東京に転居してすぐ小学校入学というタイミングだった私は、しっこして来た時からすぐ江戸っ子として育てられ、何不自由無く大学へ入学、学生の頃には『朝しジャーナル』を片手に世間を闊歩していたものだった。


 さて、人生の中でいくつか出会う大事件の一つに、私の場合、大学に入学した年の11月25日水曜日、何故か自宅でその報に接した三島由紀夫の自衛隊討ち入り事件が有る。
 三島由紀夫事件も、昨年50周年を迎えた、ということは、・・・なるほど、計算が合う。


 さて、表題の「りんどう湖置き去り事件」までまだ辿り着かないが、それは、卒業してすぐ入社した会社の慰安旅行で起きた事件である。社内旅行というのが今でも有るのかどうか、最新事情をよく知らないが、当時、工場のパートの女性も含めて大型バス2台を連ねて行く旅行というのは結構賑やかなものだった・・・
(もちろん、つづく)